綴の歴史

綴織の組織は全世界に有り、その源流は紀元前15世紀にはすでに織られていたエジプトのコプト織と云われています。

コプト織 戦士文様
紀元前1〜8世紀頃のエジプトでは、キリスト教徒のコブト民族によって綴織が盛んに行われるようになった。初期は帝王貝紫と呼ばれた高級な柴色を用い、華やかな日ーマ様武の風俗や文様を綴織で表した。
(紀元4〜5世紀エシプト・西庫織物館蔵)

綴の歴史
綴織の起源は遠く西方のエジプトだといわれます。紀元前15世紀の王墓から綴織技法の麻織物が発見され、有名なツタンカーメン王の副葬品からも綴織の衣服や手袋などが見つかっています。このようにエジプトの綴織が、紀元前3〜紀元後6世紀頃には、ギリシャとローマ帝国に伝わり、絵画的な表現のモザイク画と並んで盛んに織り出されました。そして、エジプトのコプト民族やシリア地方、ビザンティン帝国時代には地中海の沿岸に広がって、シルクロードから東洋へ伝わります。

インカ文様綴
紀元前から文明の開けた南米のアンデス地方では、高度な羅織や綴織の技術が発達した。単純化されたインカ文明独特の図様で動物文様や植物文様が、明解な形と色で綴織に表された。
(紀元前南米・西庫織物館蔵)

西ヨーロッパへは、中世以降に内陸部に入り、ゴブラン織として南アメリカ大陸のアンデス地方でも紀元前13世紀頃に綴織が行われていたようです。

また、綴織の東方への伝播は、中国の後漢時代(紀元後25年〜220年)。技法が平易な綴織は模様の表しやすさから、晋や魏(280年〜556年)の民族に広がり、用いる糸も西方の毛糸から東洋の絹糸と変わります。また隋や唐代(581年~907年)では、技術の発展で織成どいう東洋独自の綴織も完成しました。

龍文様中国綴
宋代以降、中国で秀でた綴織が数多く制作された。とくに、明・漬時代は官服の機物としても利用され、皇帝や皇族の衣装に五爪の龍が、また臣下は、四爪や三爪の蟠と呼ばれた龍が表された。
(清時代・西陣織物館像)

宋や元時代では写実的な絵表現が綴織の世界で流行し貴族に好まれ、刻絲という織物と思えないような細かな表現が可能となりました。我が国への伝来は飛鳥時代。隋や唐の製品の舶載とともに伝えられたと考えられます。(西陣織工業組合・西陣クラブより)

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