西陣織発祥の地、山名宗全邸跡地にて西陣爪掻本つづれ織のお披露目会を催しました。

今回は山名宗全邸宅の跡地にて、西陣爪掻本つづれ織の作品展示お披露目会を行うことが出来ました。

山名宗全跡地説明
住宅地の中にひっそりと建ってる駒札。周りと同化していて見逃すとここでした。山名宗全は、応仁の乱で有名です。応永11(1404)年に生まれ、名前は持豊。のちのに宗全と号したものの、赤ら顔だったために「赤入道」と呼ばれたというエピーソードも残っています。但馬など数ヶ国を支えており、強大な勢力を持っていました。応仁の乱では、将軍・足利義政の子である義更を擁してこの邸宅を本陣とし、今夜の花の御所に陣を置く将軍の弟・義視を擁す細川勝元と11年間にわたって戦いました。その結果、京都の町は焼き尽くされ焦土と化しました。大火によって、この地にあった山名家の邸宅も焼失してしまいました。その跡地を利用して織物の集積地が作られます。その織物が『西陣織』と呼ばれ、日本人のあこがれの織物へとなっていくのですが、その話は後日。

現在では、その跡地はとても素敵なお茶室となっています。
今回はその素敵なお茶室に西陣の爪掻本つづれ帯を飾らせていただきました。陳列するときが今回の催物で一番緊張しました。撞木(しゅもく・帯を飾るときの道具)が倒れて壁を傷めるわけにはいきません。ましてや作品を搬入する際に箱が壁にこすれてしまったり、桟に頭をぶつけてしまったりすれば、お直しだけでも。。。荷物は小分けにして運び込み細心の注意を払い展示してまいりました。たくさんの展示会をしてきた私ですが、これほど落ち着いた佇まいで陳列できたのは初めてです。また、お茶菓子は「嘯月(しょうげつ)」さんにお願いしました。「美味しんぼ」で一躍有名になったお店で、最高級で唯一無二の和菓子をお作りされています。こんなすてきな会を催すことができ、まだまだ勉強をして行かないといけないなあ、とつくづく実感いたしました。

コメントを残す

CAPTCHA