京都西陣にある爪掻本綴れ織・つづれ帯織元|刻絲苑 石川つづれ株式会社

つづれ織の知恵袋

つづれ織の知恵袋

石川つづれ株式会社の爪掻本つづれ織にまつわる「よもやま話」をブログで紹介していきます

西陣爪搔本つづれ織「鬼の勧進帳」 

本日は、節分です。月日のたつのが早すぎます。

「鬼は外 福は内」の掛け声で行う「豆まき」

また、しゃべってはいけない「恵方巻」など、、、楽しみです。

Nishijin Tsumeori Tapestry “Oni no Kanjincho”

Today is Setsubun. The days are passing too quickly.

“Mamemaki” with the slogans “Oni wa Soto Fuku wa uchi”

Also, “Ehomaki” where you are not allowed to speak

大津絵で人気のキャラクター「鬼の勧進帳」

2023年(令和5年)の恵方は「南南東」となります。二十四方位では「丙」(ひのえ)、正確には「南南東のやや南」で、北を0度とした方位角では「165度」です。

その年の「恵方」の方角に向かって、願いごとを思い浮かべながら目をつむり、無言で丸かじりして一気に食べきる。笑かされて吹き出さないように注意しましょう。

「豆まき」はともと旧暦の大晦日の行事で、新たな年を迎えるため、邪気や寒気を払うこと

を目的に行われました。この日を境に春が訪れ、新しい日々が始まると思えば、清々しい気持ちになります。

温暖化が進み、空調が整備されている現代では、季節の変化に気づきにくくなってしまいます。節分を機に、あらためて春の気配を感じてみましょう。

寒さの残る時期ではありますが、空の色や日の長さ、草木の様子などから、季節の変化が感じられることでしょう。もうそこまで春は確実に近づいてきています。

The lucky direction of 2023 is “south-southeast”. In the twenty-four azimuths, it is “Hinoe”, or to be exact, it is “slightly south of the south-southeast”, and the azimuth angle with north as 0 degrees is “165 degrees”.

Face the lucky direction of the year and close your eyes while imagining your wishes. Be careful not to burst out laughing.

“Mamemaki” was originally an event on New Year’s Eve in the lunar calendar, and was used to ward off evil spirits and colds in order to welcome the new year.

was done for the purpose of If you think that spring will come on this day and new days will begin, you will feel refreshed.

In today’s world, where global warming is progressing and air conditioning is in place, it is difficult to notice the changes in the seasons. Let’s take Setsubun as an opportunity to feel the signs of spring again.

Although it is still cold, you will be able to feel the change of seasons from the color of the sky, the length of the days, and the state of the plants. Spring is definitely getting closer.

我が国への伝来は飛鳥時代。隋や唐の製品の舶載とともに伝えられたと考えられます。

国宝 綴織当麻根本曼荼羅図

綴の歴史
法隆寺や奈良時代の正倉院宝物には綴織の断片と織成の袈裟があり、当麻等には、縦横4メートルにも及ぶ綴織の「当麻根本曼陀羅」が現存します。平安時代初期には、空海が「健陀穀糸袈裟」を請来して教王護国寺に伝えました。我が国にも、平易な技法は平安時代にあったはずですが、これらを最後に古代日本の綴織は見られなくなります。再び綴織が出現するのは室町中期。日明貿易によって中国の綴織が渡来し、桃山時代にボルトガルやベルシャから西方の綴織が入ります。江戸時代には、ゴブラン織などの西欧の綴織。さらに明や清国から多量の舶載がありました。それらは今も、京都近辺の祭で山鉾の懸装幕として多く見ることができます。

京都 祇園祭菊水鉾

現在につながる綴織が行われるのは、江戸時代の安永年間(1772〜1782)頃。その発祥は西陣でした。京都の御室でも生産され、綴織は京都の独壇場でした。とくに祭の幕類に綴綿の大作が織られ、製作技術も本場中国を凌ぐほどでした。江戸末期の細工物全盛の時期には紙入や財布、小物入に重宝され、黄金時代を迎えます。

西陣旧家の井関政因が記した「西陣天狗筆記 下卷」』(1845)に、「綴綿 北船岡町井筒瀬平工也(弘化2年の)50年前出来ル」とあり、西陣で綴織を始めたのは林瀬平という人物とされ、寬政年間(1789〜1801)頃だとあります。

また安永4年(1775)の「画譚鶏助」に「綺繍、刺繍、古絲(刻絲)は説苑諸事にも出ず此方近日掛物画に織出して妙なり上古は中将姫の曼陀羅綺繍の工みなり」ともあり、実際はそれより少し古くから織り出されたと考えられます。

近代では、綴織は一般に流通し帯をはじめ、袱紗など広く用いられます。また、逸早く海外見間をした川島基兵衛の草案で大作の壁面装飾織物や緞帳として製作され、万国博覧会などの出品を通じ、西陣の綴織が一躍海外に知られました。そして世界各国でも、近代日本の綴織の秀作を見ることができます。(西陣織工業組合 西陣グラフより)

綴織の組織は全世界に有り、その源流は紀元前15世紀にはすでに織られていたエジプトのコプト織と云われています。

コプト織 戦士文様
紀元前1〜8世紀頃のエジプトでは、キリスト教徒のコブト民族によって綴織が盛んに行われるようになった。初期は帝王貝紫と呼ばれた高級な柴色を用い、華やかな日ーマ様武の風俗や文様を綴織で表した。
(紀元4〜5世紀エシプト・西庫織物館蔵)

綴の歴史
綴織の起源は遠く西方のエジプトだといわれます。紀元前15世紀の王墓から綴織技法の麻織物が発見され、有名なツタンカーメン王の副葬品からも綴織の衣服や手袋などが見つかっています。このようにエジプトの綴織が、紀元前3〜紀元後6世紀頃には、ギリシャとローマ帝国に伝わり、絵画的な表現のモザイク画と並んで盛んに織り出されました。そして、エジプトのコプト民族やシリア地方、ビザンティン帝国時代には地中海の沿岸に広がって、シルクロードから東洋へ伝わります。

インカ文様綴
紀元前から文明の開けた南米のアンデス地方では、高度な羅織や綴織の技術が発達した。単純化されたインカ文明独特の図様で動物文様や植物文様が、明解な形と色で綴織に表された。
(紀元前南米・西庫織物館蔵)

西ヨーロッパへは、中世以降に内陸部に入り、ゴブラン織として南アメリカ大陸のアンデス地方でも紀元前13世紀頃に綴織が行われていたようです。

また、綴織の東方への伝播は、中国の後漢時代(紀元後25年〜220年)。技法が平易な綴織は模様の表しやすさから、晋や魏(280年〜556年)の民族に広がり、用いる糸も西方の毛糸から東洋の絹糸と変わります。また隋や唐代(581年~907年)では、技術の発展で織成どいう東洋独自の綴織も完成しました。

龍文様中国綴
宋代以降、中国で秀でた綴織が数多く制作された。とくに、明・漬時代は官服の機物としても利用され、皇帝や皇族の衣装に五爪の龍が、また臣下は、四爪や三爪の蟠と呼ばれた龍が表された。
(清時代・西陣織物館像)

宋や元時代では写実的な絵表現が綴織の世界で流行し貴族に好まれ、刻絲という織物と思えないような細かな表現が可能となりました。我が国への伝来は飛鳥時代。隋や唐の製品の舶載とともに伝えられたと考えられます。(西陣織工業組合・西陣クラブより)

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