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本つづれ帯

様々なシーンでお締めいただけるつづれ帯。
第一礼装の格式を持ちながら普段着、茶会や発表会などにもお使いいただけます。

名古屋帯『花散らし』

800,000
本体(正絹):幅30cm  総丈330cm(国産)

毎年のことですが、桜の季節が過ぎるのはとても速く感じます。散る桜を眺めながら、毎年せかされているような気持になります。季語で「花」といえば桜です。日本人の桜への思い入れの強さがうかがえます。咲き誇る様だけでなく、散っても美しい季語になっています。
 花吹雪はもちろん、「花筵(むしろ)」「花茣蓙(ござ)」は、花びらが一面に散った様子。「塵」「屑」も上に「花」がつくと、美しい情景の季語になります。花びらが水に浮かび流れる様は「花筏(いかだ)」。人に散りかかる様子は衣に見立てて「花衣」と、散り際にも多くの表現が生まれるのも桜ならではです。そんな桜で気になる言葉が「花散らし」です。風流な表現のようですが、「花散らし」とは、古い時代の風習で【旧暦の三月三日に花見をした翌日、若い男女が集い飲食すること】をさす言葉であったことがありました。本来の意味はそうでも、粋な雰囲気なので使ってみたくなる気持ちは分かります。実際、桜の季節にはテレビでも何回かは耳にします。「桜を散らす雨」=「花散らし」と、桜を散らせる雨だから「花散らし」。流れ移る時代に合わせて、言葉自体も持つ意味が変わっていくのですね。 

名古屋帯『見返りうさぎ』

800,000
本体(正絹):幅30cm  総丈330cm(国産)

正しい道へと導く神使いの「みかえり兎」が鎮座
兎に縁がある神社として知られ、京都府宇治市にある情緒溢れる観光名所の朝霧橋の前の宇治川の東側に豊かな木々に囲まれ「宇治神社」はあります。そこでは至る所で兎を見ることができます。中でも有名なのが「みかえり兎」の像。白くふんわりした見た目がとても可愛くて癒されること間違いなしです。
 兎に縁があるのには理由があり、かつて祀神(菟道稚郎子・うじのわきいらつこ は幼い頃から聡明で、百済で学問を究められたことから、学業、受験、合格の神様として崇められています。)が宇治までの道を迷っているところ、道案内をしたのが兎だったそうです。振り返りながら案内している姿から「みかえり兎」として有名になりました。今では、正しい道へ導くうさぎとして、良縁や学業成就に導く神様の使いとされています。

名古屋帯『石垣』

800,000
本体(正絹):幅30cm  総丈330cm(国産)

16世紀半ばに日本に鉄砲が伝来したことで、日本城郭は大きな転機を迎えます。鉄砲という貫通力のある重火器が伝来したことにより、その攻撃を防ぐ重量構造物の建築が必要となり、それを構築するための基礎として、「石垣」が採用されました。石垣という頑丈な基礎を得たことで、重厚な建物を直立して築くことが可能になりました。この建築技法を多用したのが、織田信長、またその権力を継承する豊臣秀吉でした。安土城や大坂城に代表されるように、彼ら自身を象徴するシンボルタワーとなり、新統治者が誰であるかを城下の民に知らしめました。そのため、石垣は彼らの支配の中心であった畿内~西日本を中心に広がりました。
石垣とは、様々な種類の石を積み上げて作られた壁や柵のことで、城の特徴のひとつです。石垣に用いられる石材は、自然の石をそのまま使用する場合と加工して使用する場合があり、加工技術や石垣の積み方にも種類があります。城ごとに様々な石垣の特徴があるため、城好きな方の中には、特に石垣が好きという方も少なくありません。

名古屋帯『鳳凰』

1,300,000
本体(正絹):幅30cm  総丈330cm(国産)

空想上の霊鳥。中国では漢代から瑞鳥(吉兆の鳥)として装飾文様に用いられ、日本にも仏教と共に伝来した。孔雀からの発想とか極楽鳥(南洋産)から等、諸説がある。中国で、聖徳をそなえた天子出現、治世の兆しとして現れるとされた。雄を「鳳(ほう)」、雌を「凰(おう)」と言う。龍と並ぶときは龍が男で鳳凰が女とされる。
古代中国で、麒麟、霊亀、応龍とともに四瑞(四霊)として尊ばれた。 体は、前半身が麟、後半身は鹿、頸は蛇、尾は魚、背は亀、頷は燕、くちばしは鶏に似る。羽にはクジャクのような五色の紋があり、声は五音にかない気高く、梧桐(ごどう)にすみ、竹の実を食べ、醴泉(れいせん)の水を飲むとされた。聖天子の治政の兆として現れるとされる。

名古屋帯『笹に雀』

1,300,000
本体(正絹):幅30cm  総丈330cm(国産)

取り合わせのよいものとされるところから図柄として、また、一対として格好なものにたとえられています。
※浄瑠璃・本朝二十四孝(1766)三「これこの竹もその本は、竹に雀と離れぬ中」

また、相性の良いものとして紋所の名にもなっている。笹竹の丸の内に雀が向き合っている形を図案化した家紋は上杉氏・伊達氏などが用いた。
※浄瑠璃・曾我会稽山(1718)四「たけにすずめはせんだい屋のみちのく殿」

鶴澤探山(つるさわ たんざん)は、日本の江戸時代前期から中期に活躍した狩野派の絵師。狩野探幽の門人で、後に京都へ移り鶴澤派の祖となった。

名古屋帯『北山』

1,500,000
本体(正絹):幅30cm  総丈330cm(国産)

私どもが暮らしておりますこの衣笠の地は古来より風光明媚な地とされてきました。北山とは京都市の北側の山地の総称で、東山、西山に対する。古くは、三条天皇の北山陵、足利義満の山荘北山殿(金閣はその一部)など,現在の北区衣笠付近から大北山付近をさしました。現在は丹波高地の南端部を広くさして使われる。北区中川、小野などを中心とする清滝川流域にかけて生産される磨き丸太は,北山丸太あるいは北山杉の名で知られる。北山杉がまっすぐに伸びているさまが、この図案の緊張感をかもし出しています。

名古屋帯『船鉾 飛龍』

1,800,000
本体(正絹):幅30cm  総丈330cm(国産)

「船鉾と大船鉾」
船鉾は、本来は二つあり、現在見られる「船鉾」は、「出陣の船鉾」とも言われていました。元は「先の祭」(山鉾巡行の前半部分)の最後、トリを務めていました。また、船尾の艫(とも)には船の進む方向を決める舵が取り付けられていますが、こちらには黒漆塗に青貝の螺鈿をあしらった、
飛龍文の舵を付けています。翼を持った小さな竜が波間を飛んでいるという、船鉾にぴったりの図柄です。こちらは狩野派の鶴澤探泉という絵師が下絵を手がけた1792年の作品です。大変美しい京漆作品です。まさに陸を進む船といった様相の船鉾ですが、工芸品が大変美しい鉾でもあります。
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